大垣の名物は堅焼煎餅。製造元の店へ行ってみると、お客との応待は、もっぱらおかみさんの役、亭主は黙々として奥の方で煎餅を焼いている。
「御当地では、焼くのは旦那ですかい」といったが、カンの悪いおかみさんはキヨトンとしている。
この光景が可笑しかったと見え、同行の小島政二郎さんがどつかの雑誌に書いている。それによると、おかみさんのカンが悪いとは書かないで、渡辺紳一郎は悪いヤツだと書いであった。なるほど、私は悪いヤツに違いない。どこへ行っても、こうした悪ふざけをする癖がある。能登の輪島へ行った時、そこには魚屋と八百屋の店がない。魚と野菜は、漁師の女房と農家の女房が大道で毎日、市(いち)を立てる。それは、春の初めころだったと思う。
中年の女が孟宗の竹の子を列べて売っている。「でかい竹の子だなあ」「これはモーソーです」「もっと細いのはないか」「モーソーのはみな大きいですよ。今ごろ真竹は生えませんよ」
「へえ、その年してマダケが生えないのか」、周りの者がどっときたので、彼女もそれと察し、
「日一那さんは悪い人だよ」その次は房州館山での話。
房州は太平洋に突きでていて黒潮に洗われてるせいか、東京に比べてシュンが早い。東京ではまだ見ない、新イモの走りが八百屋に出ていた。
赤くて細いイモである。少年のあれの如きイモばかり。
「これ、まだ筋ばかりで味は悪いだろう」と例によって、私は八百屋の娘さんに持ちかけた。ちょっと渋皮のむけた、いわゆるヒナには稀なる美人だった。
「良いのもありますよ。択ってあげますから、おたくの御土産にどうです」という。そしてイモを一つ一つ手に取って念入りの吟味。
いちいち臨床検査するみたいな手付きが、とても物慣れている。
「そうして手で持って良し悪しが判るもんかね」というと、その娘さんは、ぽうっと顔を赤らめた。
大垣や輪島と違って、さすがシュンの早い房州の娘はカンがよいと感じ入った次第である。
女のカン