さきごろ、日比谷公園の近くの道路で、街頭美術展覧会というのが催された。抽象芸術とかいって、変てこな形をした、画だかなんだか判らないものが多かった。その中に、ある物体、これをフランス語でオブジェというのがあった。オブジェはオブジェでも男性のあれそっくりのオブジェだった。警察のほうは張費物公開で禁止を命じた。画家のほうでは、それはオブジェである。具体的の一件の写生ではないと頑張った。故意にしろ、偶然にしろ、便所の落書のそれに、そっくりの形では困るというのが警察のいいぶんであった。
もしスカンジナビヤ芸術展というのを催して、そのポスターを作るとする。それには、ンジナビヤ半島の地図を使ったら、どういうことに相成るだろうか。
あの半島の地図には、山脈とか川とか鉄道とか付けられ、いろいろの文字が書かれてるから、その海岸線による輪廓を見忘れがちである。もろもろの、こまごました物を無視して全体を見通すならば、実に立派なオブジェである。いかにも堂々たる貫録を示し、世界は広く、半島の数は多しといえども、スカンジナビヤのような道鏡的なのは、いくら探しても見当らなぃ。型の如く、フィンランドをホーデン侍従として引連れた怒り型の大ペニス。いわゆる雁太という逸物である。
地図に暗射地図というのがある。わざと文字を書かないで、学生にいいあてさせる勉強用の地図だが、スカンジナビヤ半島の暗射地図を見せて、「さてこれは?」と問うなれば、たいていの人は驚いて「スカンね」と半分は答えようというもの。
日本地図では、千葉県を形づくるところの房総半島が、一種の男性的オブジェである。しかし、これは残念ながら、はなはだ小児的だ。
東は、大原、西は木更津のところを最も広くふくらんだ部分としているが、先のほうに余剰皮膚が、つぼまっている。地図でいうならば、館山あたりの房州がそれである。木更津と大原の部分で立派な内容を持つことは想像できるが、惜しくもパーカー万年筆だ。
医者の専門語でいう包茎(フイモージス)、ざっくばらんにいうと皮冠りである。
千葉県の九十九里浜で見たのが、漁師たちが棒もしないで、すっぱだか。それこそ文字どおり一糸まとわずだが、あそこの先端を保護するため、周りの皮を、ひっばって、包茎的にして、葉で結んでいる。それが千葉県の地図そっくりなのは、さすがは郷土の地理を心得たものと感心させられた。
暗射地図