ほんの切れっぱしみたいな言葉、つまり「片言隻句」というものは、それだけでは証言にはならない。
言葉というものは、いつ、どこで、誰がの一二つがそなわって、始めて本当の意味を成すものである。
同じ言葉の「ばか」にしたって、その使われ方で、いろいろの意味になる。「ばか」といわれて怒ったり、「ばか」といわれて喜んだりする。怒るのと、喜ぶのとでは、まるで反対だ。
「ばか」といわれて悲るほうは説明するまでもない。女性から、ある特別の場合に「ううん、ばか」と鼻声でいわれたら、もう男性は完全に骨抜きではないか。
ガードナーの小説、これは弁護士ペリー・メースンが活躍、テレビになっている。録音テープで、ゆするというのがある。
「ジョンを殺したのは、お前だろう」「たしかにおれの射った弾丸が一発で心臓に命中した」といったような自白を録音したもの。
ペリー・メースンは、この会話の反響によって、野外での録音と室内での録音とが、つぎ合わせて編集されていることを看破。
森の中でシカ狩りの自慢話を利用して、殺人の自白を、でっち上げたものだと、メースンが事実をばくろする。
日本でこそ、いとも簡単に、ひとの話をテープレコードするし、また、平気で、させもする。素人のど自慢くらいなら、知らないうちにレコードされても、あとで恥ずかしいくらいですむが、座談や講演を無断でレコードするのはよくないことだ。
土曜の夕方、たった六十秒だが、あるテレビのコマーシャルに使われてる。女「どう、お乗りにならない」
私「ぼく大きいよ、乗れるかい」
女「でも、中は、とても広いのよ」私「うん、乗心地も良いや」
これだけの会話で、何が想像されるか。想像する人によって、また、私をよく知っていたり、あまりよく知らなかったりで、いろいろな異なった光景が想像されるだろう。
この会話は、ある小型自動車の宣伝テレビである。BGが重要である。BGといっても、ビジネスガールではない、バックグラウンドであり、映画、ラジオ・テレビ関係者の専門語である。