私は江ノ島の対岸、片瀬に住んでいるので、裸弁天とは、いわば隣り組のおつき合い。裸弁天も近ごろでは観光宣伝事業に一役を持たされ、新宿の百貨店まで出開帳に行く。
いつも木製の岩に腰かけてるが、その岩の前のほうに出っぱりがあって中央部を覆い隠し、本当の「御開帳」というわけには行かないのは残念。
いつぞや、徳川夢声と横山隆一の御両人が来たので案内した。昼間は、はばかりがあるので、暮夜ひそかに御宮に参った。
私は、電気をつけ、うやうやしく御尊体を抱き参らせ、ひっくり返して、珍客の拝みまいらせるに任せた。作者は運慶だか湛慶だか知らないが、生ぐさ坊主とみえ、本物の女体をモデルにしたものに違いない。虹門から、ずうっと、その前の谷間、中央突起にいたるまで、解剖模型そっくり。昔は総天然色で、筆彩の毛髪もあったらしいが、近世の修理で、ただ真白に塗つである。そこで夢声老、一句あり、「裸弁天いと涼しげに拝しけり」。この句は句集には収録されていない。私に書いてくれたのを証拠物件として持っている。
神主のいわく「これは頼朝公の寄進であります」弁天様を細部にいたるまで点検というに近いほど拝んだ私は言った。「頼朝公時代の作とは思えませんが、もっと代が下がりは、しないでしょうか」
神主「いや、そんなことは、ありません。たしかに頼朝公の寄進と記録にあります」
私「記録はともかく、これは確かに代下がりの作。作を見ても判るように、二代下がっています」
神主「え?」
私「頼朝公から頼家、それから三代将軍は?」
神主「三代将軍は実朝公、いや、やられました!」
次は冬の巻。
寒い朝の宿で、私が色紙に画を描いていた。台所から野菜を持ってこさせて写生した。股火鉢をしながら女中たちが「なに、それ、武者小路さんの偽物?」という。「うるせえな、おめえたちこそ武者小路だい」「え」「女の股火鉢とかけて武者小路。心は実篤だ」