ローマで「カラカラの浴場へ御案内しましょう」と言われて、日本の代議士殿が、タオルと石けんを持って行った、との話は代議士の赤毛布物語りの傑作として、もう古典的な価値を持つようになった。
カラカラ浴場といえば、二千年近くの大昔の浴場の遺跡で、今では野外オペラなどが行なわれる。
古代ローマ人は一種の社交場として巨大浴場を建てた。大きな風呂はプールで大勢が泳ぎ回ることができた。いわゆる「ローマ風呂」である。
ローマ人は泳ぐのが好きで、風呂が遠い者は川で泳いだ。歴史の先生いわく「古代ローマ人は朝食前にタイパー川をコ一度横断した」生徒いわく「ではローマ人は自宅で朝めしを食わなかったんですか」―――という一口話がある。
ハドリアヌスは賢帝として人気があったから、暗殺を怖れなかった。白分が建てた公衆浴場へ出かけて民の声を聞くことにしていた。はだかになれば皇帝も平民も同じだ。
ただ、古代ローマには三助という者がいなかった。金持は自分の奴隷を連れて行って、背中を流させた。
ハドリアヌスがふと見ると、永年顔見知りの老兵が、風呂場の壁で背中をこすっていた。日本人みたいに手拭を「たすき」に回して自分の背中を洗うという器用な真似はできなかったらしい。
ハドリアヌスは、この老兵をかわいそうに思い、奴隷一人を与えたという。これは美談である。
さて、その次に皇帝が、またもや民の声を聞くべく浴場におもむくと、驚いた。何に驚いたかというと、老兵どもが多数いて、ハドリアヌスの姿を見ると、皆一斉に背中を壁でこすり始めた。
ところが、さすがは賢帝といわれただけあって、ハドリアヌス少しも騒がず「二人ずつ一組になって、互いに背中を流せ」といったという。
ローマ風呂