ワラジ虫は誰でも知っている虫でありながら、その性質については、あまり知られていない。
昔は、ワラジ虫は雌ばかりだと思われた。どの虫を捕えてみても雌ばかり、雄は見たことがないということになっていた。
ところで調べてみると、ワラジ虫にも、ちゃんと雄があることが判った。ワラジ虫の雄が、なかなか見つからないのは、雄の数が少いからだろうとするのは早合点。雌だけであるところのワラジ虫も、小虫くらいの虫だが、その雄たるや、あまりにも貧弱で肉眼では見えにくい。まあ虫眼鏡で見て、やっと見つかるほどである。そしてワラジ虫の旦那はマダムの腹の下の割日にへばりついて隠れている。
初めは、ワラジ虫に寄生する他の虫かと思われて、それが恥かしながら宿六であったというわけ。西洋で意気地なしの男を女房のスカートに隠れてるというが、ワラジ虫は正にそれだ。スカートといっても、現代のように脚線美をみせるためのショート・スカートでは、かくれることはできない。頭くらいはつっこんで隠れても、尻かくれずだ。もっとも、中世から、ずっと二十世紀の初め頃まではスカートが引きずるように長く、幅も広かった。クリノリンという一種の龍があった。安物は柳の小枝、上等は鯨の髭で出来た、提灯式のものを腰の周りにぶらさげた、これがクリノリンだが、まあ翻訳すると尻提灯、今のベチコlトの大袈裟のものである。その上から大きなスカートを冠せた。今でもカトリックの尼さんは、大きなスカートを何枚もしている。西洋式の尼さんのトイレ姿は見たことはないが、まるで反物を背負った闇屋の婆さんみたいなことに相成るだろう。
今でもヨーロッパの田舎へ行くと、婆さんが尼さんみたいな、お引きずりのスカートをしている。腰を少し曲げて、ふんばっている。そして天下の形勢を眺めて悠然としている。変な婆さんだと思って、立去った後を見ると、地面が濡れている。立小便だ。幕張りの中の立小便だから平気なわけ。田舎へロケーションに行った女優さんたちが、交代で外套の幕を張って用達しするようなものだ。昔の川柳に”巴御前陣幕張って用を達し“
女房のスカートに隠れるワラジ虫よりも、もっと大変なのがいる。動物学を、少しでもかじった仁は、たいてい御存知だろうが、ボネリアという下等動物、海の底の泥に潜っている虫。下等動物といっても雄雌の区別があり両性繁殖をすることは人間同様だから、そんなに下等でもない。まあ下等動物の中ではやや高等というわけ。
ボネリアの雄は雌の身体に寄生している。寄生といっても、ワラジ虫の雄みたいに、雌の身体の側にへばりついているのではない。本格的の寄生である。つまり雌の体内に、はいりこんで生活すること、我々人間の寄生虫たる回虫のごときものである。しかも、ボネリア君の場合マダムのある機関の中に生活する。雌に比べて、いかに旦那が小さいか判る。寄生している機関というのが女性生殖器である。便利快適この上なし、それなら、はいりっぱなしで陽の目を見なくてもいい――などというのは誰だ。
ワグナーの歌劇「タンホイザー」を知っていますか。詩人タンホイザーは、ヴェヌスペルクの森で道に迷う。ヴエヌスペルクというのを翻訳するとヴィーナスの山、これをラテン語にするとモンス・ヴェネリスといって医学の術語、陰阜である。女性の下つ腹のふっくらしたところ、こんもりと春草の繁ったところ。陰毛などという一言葉は下品で、中国ではそれを文学的に春草と呼んでいる。
日本では何とか春草という書道の女家元がいる。日本でよかった。どうも話が脱線して相すみません。脱線も芸当のうちと御勘弁願います。
さても、タイホイザlは魔女、ヴィーナスに誘われて洞穴にはいる。中はピンク色に花やかである。
この洞穴の中で、もろもろの快楽に耽るのだが、歓楽極まって哀愁生ずで、陽の日が恋しくなる。「出してくれ」「出さない」とタンホイザーとヴィーナスは喧嘩となる。ヴィーナスは怒って、足で地面をとんと蹴ると、タンホイザーただひとり草つ原に、ぐんにやりと寝ている……。これが歌劇「タンホイザー」の第一幕である。
写真で見るとワグナーという男は、むっつりと気むずかしそうな顔をしているが、あれでなかなかの好き者、むっつり助平の標本だ。
ボネリア虫から話が歌劇「タンホイザー」にまで飛んだが、女性器官の中で楽しむという語が東洋にもある。中国の話を聞いて頂きたい。孫悟空の大げさなところは、島国根性の日本人では考えもつかない、いかにも大陸的ばかでかい話である。
揚子江の北に深奥なる洞窟を所持する女性があった。また、揚子江の南に巨大な東西(トンシー、一件、オブジェのこと)を持つ男性があった。
江北の女は江南の男の峰を聞き、百聞一見にしかずと、一日はるばる揚子江を渡って南に下った。噂以上の怪物に胆を潰した女性は逃げだした。その物音に男は目を覚まし、十人の家の子郎党を従えて女を追ってゆく。揚子江にさしかかって女は生まれながら持参のハンドパツグを舟にして渡った。そこで男は東西を、ぐっと伸ばして橋を作った。十人の子分が、それを渡って追ってゆく。その中に、ひとりくわえていた煙草を橋の上にぽいと捨てた。「あちちっ」と、見る見る橋は縮んでしまった。可愛そうなのは橋の上の十人、みな揚子江に落っこちて、あっぷ、あっぷ。溺れる者の叫び声を聞いた江北の女は、助けてやろうと、岸に下りて、くだんのハンドパツグを押し拡げ、十人の者を川の水もろとも、ぐうーっと吸いこんだ。
そして、ひとりずつ、ぴょいびょいとつまみ出す。一二三四五六(イー・アル・サン・スー・ウー・リュー)、六人まで勘定したが、あとの四人は出てこない。はて変だと、よくよく探つてみると、奥のほうで四人が麻雀に夢中だったとさ。