京の五条の大橋のたもとに、弁慶、午若丸の石像が立てられた。
御所人形のスタイルをとった石像である。だから、御両人とも丸々と太った赤ちゃんの姿。高い台に上がってる午若丸は、まるで金太郎そっくり。あれでは「ツバメのような早業」は、できそうもない。
牛若丸は裸体だが、金太郎式の腹掛けをしているので、彼の物は見えない。後年、義経として千軍万馬の勇将となり、静御前を愛用、また「壇浦夜戦記」でも、その勇気りんりんたるところを、とどろかした、センダンは双葉にして香ばしの、あれが見えない。
さて、弁慶であるが、頭に鉢巻の坊主頭、ちゃんちゃんこを着ているが、その下に着る物を忘れた。それで、モノが、ちゃんとぶら下がっている。両脚を、ふんばっているから、うしろから見ても、それが見える。
西塔別当武蔵坊、大の男で、鬼の弁慶といわれるだけあって、さて、その物は、いかに、頭同様、鉢巻でもしているかと、よくよく見ると、いっこ、つ、つまらない幼児のあれ。イモの子みたいな不景気なもの。これには、がっかり。こんなものを、ぶら下げさせるくらいなら、牛若丸と揃いの腹掛けでかくせばいいものを。
これを見て、私は考えた。誰かが、あれに、いたずらしそうだ。口紅だと、拭くとすぐ取れるから、怪我をした時に付ける薬を塗りつけたら、どうなるだろうか。「これで、ほんまの赤チンどっせ」
ヘルシンキの広場に立ってるパアボ・ヌルミの銅像、これはアルトネンの傑作といわれ、長距離王のランニング・スタイル。
これが、またパンツなしの全裸体。片脚あげて走ってるから、物体が、片っぽうへ、ぴんと跳ね上がってるところまでは写実だが、かんじんの御本尊が小児用。
「弁慶でさえ子供用のだ、ヌルミよ我慢したまえ」
小児用