読唇術

月曜の午後七時半から八時までのテレビ番組を、いわゆる「オビ」として私は毎週でている。私のファンは、どういうものか婦人が多い。ご夫婦連れのうち、私を発見するのは、たいてい夫人のほう。「あら、ワタナベ・シンイチロウよ」という。声は聞こえなくても、遠くから、その口を見て、私のことを言ってるのだと、毎度のことで、すぐわかる。

読唇術を自然におぼえてしまった。「ワタナ」とア行が三つ続くパク、パク、パクと三べん、それから「べ」で急に口を閉じる。「シン」で相当長く口を閉じ、「イチ」で、また二度閉める。それから、最後に「ロー」と口を長く聞く、一種のモールス信号である。
やきもちを焼くわけではないだろうが、多くの場合、ご亭主のほうは「違うよ、違うよ」とか、「まさか」と、否定的なのを見るのも楽しみの一つである。
婦人のファンというが、宴会などに現われるきれいどころは、全然私を知らない。書入れ時でテレビなどを見てる暇がないわけ。
いけないのは、烏森広場という新橋駅裏に街頭テレビがある。ある種の職業婦人は念入りに化けてご出勤。ちょうど私をテレビで見てから散開して敵を各個撃破する。それで私の顔をよく知っている。わざと大きな声で「渡辺紳一郎さん、こんばんは、きょうは急いで、お帰り?」などと、いかにも、普段ごひいきにしてるようで人聞きが悪い。家路に急ぐ人々もいっせいに私のほうを見るのには大弱り。
PTAかなにかで見知ったつもりで、おじぎする奥さんがある。私を見て「どこかでみた、おっさんだが……」と首をかしげる人もある。しばらくたって遠のいてから、はたと膝をたたくのもある。

料亭の廊下や便所で「君、会費払ったかい」なぞと、いうのもある。県人会か同窓会の一員と間違われるのは度々のこと。
あるレストランでランチを食べていると、向こうのテーブルにいた数人連れ、社長と幹部の一回らしい。社長みたいなのが、はてな――という顔で私を見ていたが「君、こんなとこで、メシを食っているのかい」ときた。私を下級社員と思ったらしい。連中が出てから、運転手らしいのが「さっきは失礼しました」とウイスキーを1本持って来た。

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